彼女(娘の母親)は「あーあ、家族になれたのはいいけど、おばあちゃんになっちゃった」と言って笑っていた >> こんな人生があるのか。家族があるのか。幸せを祈る。
引用元: ・http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1436205919/
長いけど書いちゃうぞ~
生い立ちから書くから長いし
自分語りキモ~なので、創作と思って軽く流し読みしてください
記憶にないくらいの幼少期に育児放棄(消極的な児童虐待?)を受けて俺は施設で育った
定時制高校に通っていた時、初めて彼女ができる
彼女は5歳上の20歳で2歳の子持ちシンマザ
俺が老け顔だったためか、彼女が若く見えるからか年齢差があると思われたことは無い
毒親の元で育った彼女は中学卒業と同時に働き始め、親からの独立を目指すも、毒親の搾取のためにロクに稼げなかった
安直に「女の職業」に行かなかったのは、毒親と同じ道を歩みたくないという一心だったそうだ
和服を着る飲食店で年齢をごまかして働いているときに、年配男性に見初められ愛人として生活するようになる
多分にファザコンが影響していたらしい
飲食店での稼ぎのほとんどを親に渡し、愛人によるお手当をすべて貯金に回し、家を出るタイミングを見計らっていたところで妊娠
家族が欲しかった彼女は、一人でも出産すべく、愛人に迷惑がかからないように行方をくらます
他に頼れるものもないため、毒親の元に戻り独立用の貯金をすべて親に渡して協力を仰ぎ、なんとか出産する
そこへどうやって突き止めたのか愛人の奥さんがやってきて、穏やかな話し合いの後、そこそこのお金を貰い、本当に愛人との縁を切ることに
それでも彼女はやっとできた家族に大喜びだったそうだ
生活に余裕ができたので、昼間は飲食店で働きつつ、ちゃんと働けるように学歴を手に入れるため、定時制高校に入学する
その頃毒親が彼女の貯金の大半を持って男と一緒に行方不明になり、旅先でシボウ(時期もシインも詳細不明)
当然のようにカネは帰ってこなかったが、これで軛から逃れられたことになる
そして俺と出会う
最初は苗字が同じ(よくある名前)ことで、俺は「先輩」と呼んでからかっていたが、次第に親しくなり
境遇を語り合ううちにお互いに惹かれあい、彼女は権利関係でややこしくなった当時住んでいた元母親のアパートを引き払って、新しく借りた部屋で俺と一緒に住むようになった
狭い貧乏長屋で2Kの名ばかりアパートだったが、周りの住人にも恵まれ、子供にも「パパ」と呼ばれて3人で本当の家族のように幸せに過ごしていた
俺にとっては本当に初めての家族だった
はっきり言って傷のなめあいだったと思うけど、それでもよかった
バイトで昇給したある日、彼女に、家族になろう、卒業したら結婚しよう、と俺からプロポーズした
彼女号泣
そしてなぜか子供も空気を察知してか泣き出し、3人で抱き合って大泣きした
3人で婚姻届を貰いに行き、記入した
俺が結婚できる年齢になって卒業後に3人で提出に来よう!と笑っていた
俺の卒業を控えて学業、仕事、就職活動と忙しく動き回っているときに、子供が入院することになった
検査の結果、手術が必要なほどの重い疾患であることがわかった
手術そのものは成功するだろうが、その後も子供の体力がつく年齢になるまで長い治療が必要であるとのことだった
彼女は「丈夫に生んであげられなくてごめんなさい」と泣いた
彼女は子供に毎日つきっきりで過ごすことになった
ただ、こうなると必要になってくるのはやはりカネだった
そこで俺は決まりかかっていた就職先を断り、地方の住込みの仕事を探し始めた
3交代の工場勤務で、深夜勤で3年ほど行きっぱなしになっていればかなりのカネが貯まる計算になる
元々カネのかかる趣味もないので、少しさびしい思いをするだけで彼女と子供の生活も楽とは言えなくともなんとかなるはずだった
ただ、とうぜんだが離ればなれになる
あるとき病室に見舞いに行った帰り、ある男性に声をかけられた
彼女の元愛人、つまり子供の父親だった
男性の話はお察しの通り、資金援助だった
男性の提案を受け入れるとすると、子供はグレードの高い治療を受けられる上に、退院後の生活も保障され、社会復帰が一気に楽になる
小学校生活の大半を病院通いで過ごさずにすむことを考えると、この提案は魅力的だった
だが、それを受け入れると俺と彼女は一緒にいられない
だが、ただ単に俺一人の幸せを諦めればいいだけだと考えた
元通りの一人に戻るだけだし
その境遇に酔っていたのは否定できない
今思えば独りよがりな若造の考えだし、彼女や子供のことを本当の意味ではまるで考えていなかった
俺は男性に、俺がいなくなったあと、再び愛人としてでもいいから彼女のそばにいてほしいことをお願いして提案を受け入れることに
俺は、卒業式の日に卒業証書を病室で彼女と子供に見せてから、そのままアパートの荷物を引き払って地方の就職先に引っ越した
置手紙は残したが、引っ越し先のことも就職先のことも一切教えなかった
学校にも情報を漏らさないように伝えておいた
その後3年のつもりが10年近く地方で働くことになり、カネは貯まったが使い道が無かったので資格を取ったり、上の学校に行ったりして過ごした
仕事の伝手でお見合いを進められたこともあったが、施設出身であることを理由に断った
そうこうするうちに社長交代を機に会社の業務が拡大され、俺自身も仕事でも認められ栄転として出身地にできる新支所で役職に就く内示を受けた
もう10年たっているのだから地元の戻っても大丈夫だろう、とその内示を受け入れ、出身地に戻ることにした
何度か稼働前の新支所を視察するうちに、ふと懐かしくなり、昔住んでた町に脚をのばしてみた
昔住んでた長屋は、当時からボロかったのでもう取り壊されてるんじゃないかと思っていたが、つい見に行ってしまった
再開発予定地域だったので、道路の拡張工事のため立ち退きを迫られる寸前だったらしいが、それでもアパートは残っていた
その日は第三日曜日で町内清掃の日だった
俺たちが住んでいた部屋の前で、彼女に似た女性が掃き掃除をしていた
まさか、と思い車を降りて近づいてしまった
それは彼女の娘だった
不注意にも近づいてしまった俺だったが、当時幼児だった子供が俺の顔を覚えているはずはない、と思い、そのまま去ろうとした
すると「パパ?」と呼ばれてしまった
俺は「お、おう、ひさしぶり・・・」と間抜けな返事をしてしまった
逃げようとしたことがカッコ悪く、困っていると娘が駆け寄ってきて俺の二の腕をガシっとつかみ、そのまま部屋に連れ込まれてしまった
アパートは建物はそのままだったが、隣の部屋との仕切りをぶち抜き、二部屋分を一家族で住めるように改築され広くなっていた
その奥の部屋に彼女はいた
最初彼女は俺が解らなかったのか、まさかと思ったのか、怪訝な顔をしていたが次第に理解すると声を出さずに泣き始めた
彼女と子供はずっとこのアパートに住み続けていたらしい
俺の老け顔はもうそれ以上老けないので顔はあまり変わってなかったようだ
新支所も稼働し、仕事が一段落すると、また3人で会うようになった
ただし、彼女のアパートには絶対に泊まらなかったし、体の関係も持たなかった
そういう空気にならなかった
それでもある日、娘がいつか書いた婚姻届を持ってきた
そして「また一緒に暮らそうよ」と言ってくれた
あんなに小さかった子供がこんなこと言えるようになったのか、という想いと
子供にこんなこと言わせてしまった、という想いがなんだかごちゃまぜになって泣きそうになってしまった
それを胡麻化すために「そんな古いの使えないだろう」と笑い飛ばしてしまった
後日、娘が未記入の婚姻届けを持ってきた
俺に新しく書け、ということらしい
自分一人で役所からもらってきたそうだ
俺は前回逃げてしまったことを恥ずかしく思い、その反動で俺の分を記入した
彼女には断られることが分かっていたが、俺自身と娘の想いに対するけじめでもあると言い聞かせて書いた
そして彼女に半分だけ記入した婚姻届けを見せて、「結婚してください」と言ってみた
結果はわかっていたけど「ごめんなさい」
ただ湿っぽいものではなく、彼女自身笑ってくれて
「もうそんなのなくてもいいんだよ」「昔にこだわらなくていいよ」
と言ってくれた
俺のいない10年間で彼女も落ち着いたんだな、と思えた
支援ありがとうございます
俺もほぼ同じ気持ちだった
同情や謝罪で結婚するわけじゃないんだと自覚した
それを横で見ていた娘は頭では理解していたし予想もしていただろうけど、落胆していた
申し訳ない気持ちでいっぱいになったが、こればっかりはどうしようもない
彼女と元愛人との関係は再開せず
「奥様との約束もありますので」と会うことも拒否していた
ただ、知らないうちに生まれていたとはいえ、自分の娘の治療にすら手を貸せないのか、との言葉には折れて、治療費は受け取ることに
代わりに、娘と定期的に会う機会を作っていった
元愛人の奥様だが、元愛人と奥様自身の子供が彼女の娘と同じ病気になっていた
しかし、発見が遅れたため、一時は危ない状態にまでなったそうだ
一命はとりとめたが、奥様が気づかなかった子供の変調を、愛人である彼女は気づいていたことで母親としての彼女を認めるようなスタンスに代わり、多少態度が軟化したらしい
といってもはらわたは煮えくり返ってるだろうが、それでも大人の対応をして、自分の旦那と彼女の娘が会うことは許してくれているようだ
俺と彼女と娘の関係はそれからも続き、週の半分くらいは晩御飯を一緒に食べ、月に一度程度は週末に一緒に遊びに行くような間柄だった
3人の誕生日は残りの二人がそれぞれ準備してお祝いした
10年前に比べれば、経済的にも精神的にも落ち着いており、家族としての幸せを感じた
ある年の娘の誕生日
娘は以前俺が半分だけ記入した2枚目の婚姻届けを出してきた
それを俺につきつけて「パパ、家族になろうよ」と言った
婚姻届けの残りの半分には、娘自身の名前が書いてあった
俺は驚いて彼女を見た
ニコニコしていた
知っていたのか、知らなくても受け入れる気満々なのが伝わってきた
次に娘を見た
あんな小さかった娘も結婚できる年になったんだな、とか人ごとのように考えていた
娘は真剣な目で俺の顔をまっすぐ見ていた
これは中途半端な答えは出せない、と思わされた
だから「結婚しよう」と答えた
娘は彼女に抱き着いて号泣し始めた
俺も泣いた
彼女も泣いていた
娘が(ここからはもう娘じゃないけど)高校を卒業したところで入籍
3人で一緒に暮らすようになり、娘が大学を卒業したところで小さな結婚式をした
先日本当のパパになった記念に書き込みました
彼女(娘の母親)は「あーあ、家族になれたのはいいけど、おばあちゃんになっちゃった」と言って笑っていた
長々と読んでくれてありがとうございました
おめでとう 元気な子供が生まれるといいな。
コメント
まあ人生色々だ。お幸せに。
ってのが大人の対応。
「はあ?なんだそれ」ってのが正直なとこ。
俺には理解できん。