28歳になった今も、「いらなかった」と言われた以降のことは思い出すことは出来ません。 >> ショックで記憶をなくしたのか。この心の病に効く薬はあるのだろうか。
引用元: ・https://www.logsoku.com/r/open2ch.net/kankon/1407507980/
初めて書き込みます。
不馴れな上にとても長くなっております。
読みにくかったらすみません。
わたしが3歳、弟が1歳のときに、母親が失踪しました。
夕方に出張から父が帰ると、冷蔵庫と藤製の電話台以外の家財道具が一切なくなっており、ぐったりしたわたしと、同じくぐったりした歩行機に乗せられた弟がいたそうです。
何故母がいなくなったのか。
事情がわからない父は一人で育てるのが無理だったので(船で遠出をする仕事)、わたしと弟を新幹線で2時間ほどの距離の父方祖父母に預けました。
これが第一の修羅場です。(主に父が、ですが)
>>545
私も両親からいらないといわれたんでわかる
で、
もし人間関係が苦手で、なぜか彼氏とこじれたり、意地悪な人とばかり付き合ってしまうとかダメンズだと感じているならアダルトチルドレンと境界例診断をすることをお勧めする
境界例でも自己愛は特別なので多分これは当てはまらないとは思う。
それ以外の診断をしてみて、もし黒なら、すぐ精神科へ。
多分軽い欝という診断が出ると思うけど、薬を飲みながら、必要以上に人間に執着しない、人の言葉を悪く捕らえすぎないとやっていけば、二年くらいで楽になって改善する
早いほうが良い。
私も人間関係がずっとおかしいし、色々神経質だったけど、自分ではわからなかった
でも、変だと友人に言われて調べて納得した。
自分がおかしい
精神科に行って改善したけど、気づく年齢が遅くて取り返しつかない
もし、診断で黒なら出来るだけ早く、病院に行ってね
凄く有益なレスだと思う
>>551様、>>563様、レスありがとうございます。
まとめて返させていただきます。
病院に行ったことはありません。
自分がどこかおかしい自覚はありますが、診断がつくのが怖い気持ちがあります。
あくまで表面的なものに限りますが、人間関係は比較的得意です。
父からの暴力もあり、それを避ける為に相手の機嫌を察するのが上手くなったおかげで、仕事でも何かと重宝して(されて)おります。
ただ、相手の本心等を察そうと延々気を遣って疲れるので、友達を作るのはめんどくさいです。
ダメンズ、交際相手に関しては、メンヘラメーカーというか…。
察する能力が高いおかげか、容姿は十人並み以下なのに好きになられることが多いのですが、相手を試して、思う通りの答えが返ってくるとすごくなつく
↓
少しするとまた不安になって試す
ふるいにかけるように上記のことを繰り返してしまい、普通だった方も気付くとメンヘラになってしまいます。
わたしも執着されるのが心地よいので、監禁されることを喜んでいたこともありました。(大家さんに通報されて監禁生活は終了)
…やっぱり病院に行ってみるべきですよね。
いらない子じゃないって言われて嬉しかったです。
涙が出ました。
ありがとうございました。
それからまた時が流れ10年後、わたしが15歳のときです。
ある日単身赴任から帰った父から、神妙な顔で問われました。
「お前、お母さんや弟に会いたいか?」
思いもよらない言葉でした。
それまで親子であっても母や弟の話をすることはなく、当時のことを話題にするのはなんとなくタブーでした。
わたしも聞かないし、父も誰も話さない。
そんな中、10年ぶりに上った母と弟の話題。
“会いたいか?”との質問。
わたしが答えられないでいると、いつもはハートマン軍曹のように恐ろしかった父が、下を向いて話始めました。
母は不倫の挙げ句に失踪したこと。
失踪した段階では離婚をしなかったこと。(むしろ捜索願いを出していたこと)
弟を奪いにきたことをきっかけに不倫の末の逃亡と判明し、離婚を決意したこと。
しかし親権で揉め、裁判になったこと。
父は姉弟ともの親権を要求、母の主張は一貫して「長男(弟)を寄越せ、娘はやる」
というものだったこと。
最終的には娘(わたし)は父、弟は母になったこと。
不倫のことは、何となく気付いていました。
そうじゃなければ、徹底して誰も話題にしないのは変ですから。
「お前は覚えてないかもしれないけど、俺が帰ったら家の中になぁんもなくてなぁ…」
「…覚えてるよ」
記憶に残る捨てられた日の室内の様子や、窓から見えた風景を父に話しました。
弟が連れ去られた日のことも。
「3歳とか4歳とかのころのことなのに、よく覚えてるんだな」
少し笑う父でしたが、笑いながら、二人で泣きました。
しかし、母から言われた“いらない”の言葉は、言えませんでした。
わたしは父に、会いたいと答えました。
大好きだった弟に会いたいのは勿論、母に対してこのときはまだ少し希望を持っていたように思います。
どうしてもの事情があって、わたしを捨てたのだと。
その事情が知りたい、と。
部屋に入ると彼女は
「材料あるの?ご飯作るよ。○○(弟)はお父さんと外でキャッチボールしておいで」 と言い始めました。
つまりわたしと彼女は二人きりになる。
嫌で嫌でたまりませんでした。
父に助けを求めようと目で合図をするも通じることなく、10年ぶりの再会から1時間後、わたしと彼女は二人きりにされました。
祖父母に育てられずっと心に重しを持ったわたしは、周りを観察し察する能力が優れていました。
その能力を使う…までもなく、彼女がわたしを捨てた事情や理由は察しがつきました。
いえ、察するまでもありませんでした。
この女、何も考えてない。
キッチンに立つ縮れ頭のケバいおばさんの後ろ姿を見ながら、どうやってこの時間を乗りきるか、それしか考えれませんでした。
しかし、縮れ頭は口を開きました。
それはまた、新たな修羅場の始まりでした。
「あんた、おっきくなったねー」
「…はい」
「えー暗いじゃーんww田舎で育ったからー?wwwww」
「…どうでしょうか」
「昔は活発だったのにねーwww」
「そうですか…」
「あの頃はわたしも大変だったからさー、悪かったと思っているのよー」
「…」
わたしが黙っていると、縮れ頭は一人語りを始めました。
失踪当時、父は仕事で海に出てばかり。
守秘義務やら職務上の決まりで、陸上とは一切連絡禁止。
縮れ頭は地元から遠く離れた地で一人ぼっちだった、と。
「あんたを産んだ日は雪がすごくてさー。うちの親が来てくれる予定が新幹線止まっちゃってwwだーれも来てくれない中、一人で産んだのよー」
わたしを産んで2年後、弟を妊娠。
しかし父は相変わらずいない。
わたしが産まれて一人ではなくなったけれど、あくまで手のかかる幼児。
寂しさを埋める役には立たない。
弟を出産。
子供は二人になったが、やはり寂しさは埋まらない。
そんなときに出会った男性と浮気、そして不倫逃避行。
しかし離れてみて、子供がいない寂しさに気付いた。
そして、弟を取り戻しに行った。
そう語る縮れ頭に、ふと聞いてみたくなりました。
「どうしてわたしじゃなくて、弟だったの?」
縮れ頭はキョトンとしたあと、ケラケラ笑いながら答えました。
「だってあんた、男じゃないから跡取りになれないじゃんwだからいらなかったのよwww」
男じゃないから、“いらなかった”。
10年ぶりに言われた、“いらない”との言葉。
嘘でそんなことを言う必要はありません。
つまりそれがこの女の本心です。
本心から、わたしを“いらない”と思っているのです。
それから後のことは、またもや記憶がありません。
15歳という年齢や出来事の大きさを考えると成長と共に記憶が風化することはなさそうなので、ショック過ぎて思い出すことが出来ないのでしょう。
28歳になった今も、「いらなかった」と言われた以降のことは思い出すことは出来ません。
改めて母親から“いらなかった”と言われたことが3番目の修羅場。
そして、未だにそれを引き摺っていて、恋人が出来ても「本当はわたしはいらないんじゃないか?」とすぐ不安になり、必要と言われたいが為に相手を試すようなことを繰り返してしまい、継続した関係を築けずにいることが、4番目の修羅場です。
他にも父と父の彼女の3人で旅行に行く度に同室でエッチをされ(わたしが眠ったあとに始めるけど、隣で喘がれたらさすがに目が覚める)、ファザコンなのに父が気持ち悪くて結局今は親族全てと縁を切っていて独りぼっちだったり、「女だったからいらなかった」と言われたためか、自分の性別を嫌悪するようになったり、弟が母方祖父母に虐待を受け失踪の後に補導されたり、というのも修羅場っちゃ修羅場ですが、これはまた別の話。
以上です。
長々失礼致しました。
>>550
泣ける…
あなたはいらない子なんかじゃないよ
頭がおかしい母親がいただけ
カウンセリングには行ったことある?
心の闇を吐き出して、少しずつでも前に進んで欲しい
とんでもない女の呪縛から早く逃れて、あなたは幸せにならないといけないよ