問屋に勤めていた大昔の話で、お中元の時期で扱いが大量になる百貨店の配送センターに応援で行った時の話。普段は商品の減り具合を確認して取り寄せたり・・
問屋に勤めていた大昔の話で、
お中元の時期で扱いが大量になる百貨店の
配送センターに応援で行った時の話。
普段は商品の減り具合を確認して取り寄せたり、
大量の発送注文が来ると包装作業を手伝ったり、
伝票を記入したりの雑務一般。
たまに売り場からお姉さんが偵察に来て、
大学生バイトの常連の体育会系の連中と
下ネタや軽口を叩いているのを横目で見ていた。
ある時にお帳場のお得意様から「本日中何時までお届け」の注文が来て、
両手でやっと持てる大量のご進物を包装して、
以前の失敗に懲りて厳重に雨対策の包みもして、
私が自分で下町のお得意様にお届けする事になった。
電車が目的地に着く直前から突然のゲリラ豪雨で、
着いた駅ではタクシー乗り場が長蛇の列で、
時間指定厳守なのでずぶ濡れになって歩いてお得ささま宅に。
商品は勿論無事で、「助かった」とお礼を言われて、
雨宿りと行水を勧められた。
有りがたくお風呂を頂戴してパンツと浴衣をお借りして、
一服して行きなさいと爺さまと一緒に飲み物まで用意して下さった。
爺さまが卒業した旧制中学が私の高校と同窓だと分かって、
話が弾んで改めて遊びに来なさい、との話になった。
その時はエーロい話は無かった・・・
>>397
大昔の事だし、
お帳場からの高価なお召し物や宝飾品は
商用車で助手も連れて行くけど、
突然のご注文だし問屋から派遣されている身分では
タクシーなんか使えなかったわ。
安い石鹸の20個入りを、
50箱なんて注文が来ると殺意を覚えたよ。
こんな時間にいる無職の言うことなんかあてにならんわ(笑)
戻って来た途端に気絶しやがったのか。
それが問題だ。
>>402
ご期待に添えるかどうかは自信がありませんがちょっとだけ。(記憶に曖昧な点も)
(1)それからお得意様のその爺さまとは同郷・同窓の誼(よしみ)で
季節ごとに手土産を持参して夕御飯をご馳走になって、
独身の寂しさに花を添えて下さった。
2年ほどして爺さまが脳梗塞で半身不随になり、
でも車椅子生活でそれまで通りに私を呼んで下さっていた。
それは梅雨明けの頃だったと記憶している。
お手伝いさん達を慰安旅行に行かせたので、
爺さまの面倒は孫娘が見る事になって、
私も手伝う事に。
梅雨明けの暑さが始まって入浴が日課になっていて、
車椅子の爺さまを湯殿に連れて行って、
さぁどうしようと思っていたら孫娘さんがいきなり素っ裸になって、
「(私)さんも脱ぎなさいよ、ずぶ濡れになってもパンツは貸して上げないわよ、
貴方がいつかご進物を届けて呉れた時は私が洗って上げたのだから・・」
その決心を語る視線を感じて、
私も素っ裸になって爺さまを介護入浴椅子に移して、
爺さまも真っ裸にして意外に豊かな頭髪からつま先まで、
丁寧に洗って差し上げた。
しわくちゃではあるが私の優に2倍はありそうな爺さまの男性のシンボルは
孫娘が手慣れた手つきで傘の裏やフグリの皺まで洗っていたのには感心した。
洗い終わって爺さまに浴衣を着せて、
私達が腰にタオルを巻いただけで部屋に爺さまを連れて戻ると、
爺さまは「お前達は汗をかいたろう、わしはこれを飲んでいるから二人して汗を流して来なさい」
と仰る。(続く)
(2)二人は腰にタオルを巻いただけなので彼女はトップレス、
それでも平然と縁側を通って湯殿に戻る。
申し合わせた様に二人してタオルを外して素っ裸に戻って、
今度は私を介護入浴椅子に座らせて「私が洗って上げる」
爺さまと同じように傘の裏まで丁寧に洗って呉れるので、
目の前の豊かな乳と若草を眺めていると血液があそこに漲って来るのを隠し切れなくなる。
「まぁ、お爺いちゃまより立派な事」なんて軽口を叩かれて、
「今度は私を洗って頂戴」黙々と洗い始めて段々手が首から胸・臍とさがって来ると、
「手抜きしちゃ駄目よ」と若草を前に突き出す様にして両足を開いて促す。
ほぼ経験なしだった私もおずおずとビラヒラにも手を伸ばして
精一杯丁寧にさする様に洗う事が出来た。
そんなで二人はいささか上せ気味で湯船の縁に腰を掛けて
窓から入って来るそよ風に涼しさを感じようとする。
それまでは二人が素っ裸でいる実感は無かったのに、
(当時、故郷の渓谷では高校生位まで男女とも素っ裸で泳いでいて、
彼女も爺さまが連れて行く里帰りでそんな水浴びが普通と思っていた)
ふと私は彼女の乳首に、彼女は私の勃起に目をやり、
大自然の水辺での習慣からいきなり思春・性愛を意識する空気になってしまった・・・
(続く)
www
中学の友達が、昔から夢だった小料理屋みたいなのを開いて、オープン前の開店祝いに誘われた。
そのお店はカウンター10席ぐらいと、座敷ひとつの店で、その日はほんとに気の合う友達しか来ないし、タダで飲み食いして欲しい。との事だった。
有り難く参加すると伝えて、開店祝いの花(恥ずかしながら親に聞き、胡蝶蘭)を送り、当日はちょっとしたお祝いを包んでいった。
友達は、店の玄関に花を飾ってくれていて、友達と奥さんからお祝いは受け取れないと言われたが、「せっかくの門出だから受け取って。その代わりに今日は料理もお酒も楽しみにしてきたから。」と言った。
でも、他に招待されていた中学の友達は、中学時代「店開いたら呼んでよ!」という話を覚えていて呼んだものの、正直、前科ものや、いい歳して無職のパ狂いの奴がタダ飲みできると思って来ていた。小料理屋のAくんは知らなかったんだと思う。私も知らなかった。
下品な会話と、警察のお世話になった自慢でばっかりで、正直友達が気の毒だった。奥さんも引いてたと思う。
どうしよ…と困ってる時に、お店に花束を抱えたかわいい子が入ってきた。
その子はハーフみたいな顔で、とにかくメチャクチャ可愛かった。
下品の限りをつくしてる友達たちも、一斉に見てた。
その子は「○○子さんのお店はこちらでしょうか?私、お招きいただいた○○と申します。」とすごく丁寧に挨拶して、奥から出てきた奥さんにハグされたりしてた。
ハグされてた後、奥さんから私たちの醜態を聞いたんだと思う。
しばらくカウンターで話した後、突然私達の席に来て、「突然すみません。中学のお友達って聞いたんでんけど、混ぜてもらっていいですか?」と言われた。
友達は「フゥーー!!かわいい子きたよー!」みたいな感じだったけど、「カラオケ行きません?ここで騒ぐのはご迷惑だと思うんです」って言った
それからカラオケに行って、部屋が取れた途端、「私帰ります。」って言われた
なんでお前らはいつも定期的に気絶するんだ。
ツマンネ
>>427
(3)身体が向かい合わせになり、二人の手が伸びて絡まる様に探りあって身体に触れ、
窓から入る風でもまだ冷めない体温をお互いが感じるほどになって、
「縁から滑り落ちちゃうわ」と湯殿の一枚岩の舞台を模した場所に移って、
足先までが絡まる様な体勢にお互いが身体を引き寄せ求め合う。
この私が通った2年間を埋める様に、
「これを待っていたの分かっていた?」と彼女が耳元で囁く。
私の勃起は石の様に堅くなって痛いほど、
彼女は若草の奥に私の手指を導いて、
そこがお湯で濡れただけとは違う粘っこい感触だと教えて呉れる。
今ならフェラチオやクリニリングスを試す所だけど、
当時はまだそこまでの知識も無かった。
どうも彼女の方が知識で先輩だったようで、
寝椅子の形の岩に彼女がもたれかかり、
私の勃起に手を添えて若草の根元に導いて呉れて、
そのまま体重を掛けなさいと冷静に命令する。
二三の関所の様な狭い押し返しがあって、
最後の関門は傘の出っ張りが吸い込まれる様な感覚(かすかな記憶だと)。(続く)
>>450
(4)それから一二の関所の間、二三の関所の間、
それぞれの間でピストン往復する様に促されて
命ずるままに繰り返す先生と生徒の立場で段々要領が分かって来た。
その時私の遅漏が役立って、
勃起を維持したまま後背位に騎乗位に松葉崩しまで一遍に試す事が出来た。
今となっては中出しをどうしたのか記憶が定かでない。
後日、彼女と爺さまのひそひそ話で、
「お爺いちゃまのご自慢の“抜か(ず)六”を彼が出来たよ」と笑い合ったとか。
かれこれ2~3時間そんなで湯殿で過ごして、
二人して素肌に浴衣を羽織って爺さまの元に戻ると、
爺さまはうたた寝から目をさまして孫娘に一言、
「わしの言う通り(私)君は出来る奴だろう?」と言って、
孫娘の頬を紅くさせていた。
それから彼女が三人分の軽い夕食を用意して早めに済ますと、
爺さまは「わしを放っておいて呉れて構わん、
寝台には自分で移れる、もうそのままで寒くない」と二人っきりにして下さる。
一つ屋根の下に爺さまと三人だけの夜が更けて、
彼女の部屋に泊まって睦み合いの続きを一晩中繰り返して、
私が入り浸るようになってそれが嫁との馴れ初め。
何せ、大昔の話なので嫁さんも余り覚えていないのが残念。
(終わり)
とこかの小説みたいだ~ね
引用元: ・http://mao.5ch.net/test/read.cgi/tomorrow/1503036693/