結婚後10年ほど経つが、嫁さんは「~くん」って呼ぶし相変わらず姉さん気取り。まあ、お互い知り尽くしてるしこんなもんなんだろうな。 >> いいんじゃないの。
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嫁さんは小さい頃に里子として厄介になってた呉服屋の娘なんで、正直、馴れ初めや出会いって言うのが何時なのか全然覚えてない。
物心ついたら目の前にいて、いつも後ろをチョロチョロ追いかけてたからね。
俺の母親も終戦間もない頃、両親無くしてその家に養子先が見つかるまで育てられたらしい。
結婚後、親父の単身赴任や大病した養母(祖母の事)の世話で生後間もない俺に手が回らずにずっと懇意にしてたその家に6歳上の兄貴共々預けたらしいから。
兄貴は其処の男兄弟と遊んでたけど、体が弱かった俺は一番年少の娘と家の中でずっと遊んでた。
そんなもんで俺は立派なシスコンになったんだろうかと。
大学生の頃、通った学校の近くなんでちょくちょく晩飯食いに行ってたけど、どうやらその当時、娘は別の男と付き合っていたらしくあまり顔を見なくなった。
ある日、兄貴どもと麻雀していると物凄いしょぼくれた顔で娘が帰ってきたんで如何したのと聞くと、付き合ってた彼氏に二股賭けられて振られたとの事だったらしい。
娘はしばらく人間不信になり、今でいうニート状態になってしまい親兄弟も困り果てたらしい。
俺もそれとなく学校やバイトが暇な時は心配なんで見に行ってたりしたが。
ある日、娘がなにをトチ狂ったのか「私と付き合わないか?」と誘ってきた。
「一緒に育ったきたから姉としか思えない、それにヤケクソでもそういう事言わないでくれ」と怒ると
「男なんて皆同じだ、あんただってそうだ、あたしは弟と思った事なんて無い!ふざけんな!」と泣き叫んだ。
俺はもう駄目だと思い、親父さんやお袋さんに「今まで世話になった」と告げて、その家に近づくのは止め様と思った。
3週間位してからだろうか、俺は帯状疱疹になって何も出来ずに寝込んでいた。
あまりの苦しさに実兄夫婦に電話で助けを求めたが、実兄も奥さんが妊娠中なんで上手く言い出せないでいると、兄の嫁が何かを察したのか「あたし1人では大変だから手伝い連れて明日看病行ってあげる」と話を切り上げた。
次の日に義姉と呉服屋の娘がお見舞いに来てくれた。
必要以上に会話を避ける俺らに、兄貴どもから話を聞いたらしい義姉が仲直りの仲介をしてくれた。
「昔から体弱いのに意地ばっかり張る、少し寝てろ、あんたの世話なんて小さい頃からしてるんだから」と言われ
めんどくさいんで反論もしないでむっつりと寝てたら「ごめん、やけになったあたしはみっともなかったよね」と謝ってきた。
帯状疱疹は良くならないで悪化していった。
娘はしょっちゅう来ては世話してくれる、こんな生活も悪くないかと思い始めてきた。
「なあ、前の話はまだありなのかな?」
「前の話?」
「付き合おうって事」
「姉として見れないって言ったじゃん」
「その時はその時だったしね」
「今は?」
「一緒に入れて楽しいかな・・・仲直りできたしさ」
「ん・・・・」
「駄目かい?」
「一番一緒にいた男は~君かもね・・・お願いしちゃおうか」
4年ほど両家族公認で付き合って、既に意思は決まってたが、プロP-ズの言葉を言い出せないでズルズルと時が過ぎていく、けじめをつけようと思った。
「結婚して欲しいんだよ、~ちゃん以外に考えられないから」
「付き合い長いもんね、実感がわかないよ・・・でも、これからも大切にしてくれますか?」
俺と嫁、2人の両親に結婚したいと報告した。
俺の母親は泣いてたが、嫁の親父さんは「~くんがとうとうおじさんの息子にねぇ・・・」
「小さい頃からこの家で娘や息子どもと一緒に遊んで、娘と付き合うって言った時はおじさん驚いたけど嬉しかったよ」
結婚後10年ほど経つが、嫁さんは「~くん」って呼ぶし相変わらず姉さん気取り。
子供がいないから正直、ガキの頃からの延長か?と思う事があったり無かったり。
まあ、お互い知り尽くしてるしこんなもんなんだろうな。
長文、申し訳なかったです。
おつかれ
いい話ジャン